命のコトノハ

人生に何を問いかけるのか?

人生に何を問いかけるのか?

《迷っている時、それは本当に迷っているのか?》 結婚であれ、起業であれ、それを決める時、「迷う」「悩む」ということはよくあります。 「この人でいいのか」 「他にもっといい人がいるんじゃないか」 「今の安定を捨てて、起業して大丈夫か」「(結婚・起業に)失敗しないか」 「後悔しないか」 「、、、、」。 けれども。おそらく、多くの場合、「迷っている」わけではないのではないでしょうか。私たちは、「迷っている」ことにしたいとき、アタマで考える答えとココロの中で求めている答えが「ズレている」ことがほとんどなのではないかと思います。 《答えのズレが葛藤を生む》 「アタマの中の答え」≠「ココロの中の答え」そんな時、葛藤が生まれます。混乱します。迷いが生じます。それが悩みにつながります。「私はどうしたいのだろう。どうすることが”良い”のだろう」 悩み(迷い)に対して「正しさ」を求め始めると、わからなくなります。 《「そうだ!占い師に訊いてみよう!」》 そして、占い師を訪ねます。「結婚するのは、AさんとBさんのどちらがいいでしょうか?」こういうとき、50vs50で迷っている、ということはまずありません。 「ほんとはAさんのほうが好きだけれど、生活のことを考えるとBさんの方が、、」と心の中で決めていたりします。そして、占い師に言われます。 「Bさんのほうがいい」。アタマで出した答えと一致したからと言って、「じゃあ、Bさんにします」とはならないでしょう。アタマのYes<ココロのNo ココロの声が暴走し始めます。 きっと、「Aさんがいい」と言ってほしくて占いを受けたはずです。 そうなると、「Aさんがいい」と言ってくれる占い師に出会うまで占いを受け続けることになります。自分以外の誰かに、自分の「ココロの答え」が正しいと言って欲しい。そして、占いジプシーになる。 《ならば、どうするか?》 もし、「Aさん」という答えが欲しいのならば、 質問を変えるべきす。 「AさんとBさんと迷っている。生活のことを考えるとBさんですが、本当に好きなのはAさんです。Aさんとうまくやっていくには どうしたらいいでしょう?」 よく、鑑定であるのが、質問しておきながら、鑑定の内容を聞かない、ということです。 それはつまり「自分が決めていることを反対された」と思うから。 ならば、最初から鑑定など受けないほうがいい。 決めてるわけですよね?周りがどんなに反対しようと、命式がNoと言っているのに、命式の自然さを生きず、マイウェイで生きようとしているわけですよね? 自分が言ってほしいことを言ってもらうのが鑑定ではありません。 「何をどう訊くか」で圧倒的に鑑定内容が変わります。 《人生に何を問いかけるか?》...
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運は人に乗ってやってくる

運は人に乗ってやってくる

ジャズピアニストの佐山雅弘さんが生前、こんな言葉を残しています。 「まことに人生は出会いであります。『君の身体は君の食べたモノで出来ている』と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします」 (写真は、亡くなる2ヶ月前、最後の演奏を聴いたライブハウスの写真) まさに、私たちの人生は「出会い」で変わります。その最たるものは、パートナーと思いますが、友人、師、、、周りにいるすべての人がそうです。 もし、今、自分の置かれている環境に文句を言っているのだとしたら、環境がイマイチなのではなく、あなたがイマイチということです。 山田詠美さんの小説の中に 「どれだけ周りの環境に文句を言おうと、置かれた場所は今の自分に相応しい場所である」 という一節があります。 ほんとにその通りだなーと思います。 「これは本当の私じゃない」という思いを携えながら、私は20代の多くの時間を過ごしていましたけれど、そんなことを思っていたときでさえ「本当の私であった」と思うし、あの時の、あの場所は、あの時の、私に相応しい場であったのだろうと思います。   心理学の先生がよく「ノっている人につけ!」と言っていました。私にとって、その心理学の先生はまさに「ノっている人」であり、私の人生を変えた一人、と思います。あなたの人生を変えた出会いは何ですか?
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「自分らしさ」の先にあるもの

「自分らしさ」の先にあるもの

私がよく選ぶオーラソーマのボトルがこれです。 15年以上もずっと、「1本目」に選んでいます。 このボトルのペンダントをつけていたとき、オーラソーマを学んだイギリスのデヴオーラで、 「どんな感じ?」と訊かれ私は「らしくいられる」って答えました。  そう、このボトルは、いつでも私が「らしくいる」ことを思い出させてくれました。 今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない誰か、ではなく 今を生きる、ここを生きる、自分を生きる、 「らしく生きる」  命理学(四柱推命)では、「命式の自然さを生きる」ことが大切、と言われます。  つまり、これは「らしく生きる」ということに他ならないと思いますが、それが「ゴール」ではありません。 むしろそれは「スタート」と言えるかもしれません。 ようやく、「自分を生きる」ということのスタート地点に立った、そんな感じです。 では、その、 「自分らしさを生きる」の先にあるものとは?   まさに、それが「統合」のプロセスです。 人間のことを「human」、つまり「hue(色)」の「man(人)」と言いますが、 オーラソーマでも、「私たちはすべての色を持っている」と言われるように、 めぐる季節の中で、私たちは、「すべての五行」を体験します。 それは、 「私たちが分離したものを取り戻す」 自分を思い出す作業に他ならないのではないかと思います。  「あの瞬間を思い出す」これを学ぶのが、命理学の醍醐味。そして、生きる醍醐味。
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誰でもできる分野で、誰にもできないことをする

誰でもできる分野で、誰にもできないことをする

以前、ある方の絵の作品展に行ってきました。ある水彩画の先生の、アトリエの生徒さんたちの作品展だったのですけれど入口の、その先生のコメントに思わず惹きつけられました。私はそのメッセージの強さに驚いていたのだけれど聞けば、水彩画ではとても有名な先生だそうで、いつもスクールは入会待ちの生徒さんが200名ぐらいいるのだそう。 そこに書かれていたメッセージとは(私の記憶に頼るのでもしかしたらニュアンスが違うかもしれない)  「水彩画を描くということは、誰にでも簡単にできることだけれど誰にも描けない絵を描くということはそう簡単にできることではない」 確か、こういった内容だったと思います。これは「水彩画」に限らず、と思います。 たとえば、小さい頃、ピアノを習っていない人はいないんじゃないかというぐらいピアノを習っている人は多いと思いますが、 じゃあ、その中で音大に行く人とかそれを仕事にしている人って、全体の何パーセントなのかといえば、 もう、ほとんどいないんではないかと思います。  「誰でもできる分野で 誰にもできないことをする」   色と香りの命理学Step4【職業編】では「好きなこと」と「できること」と「飯が食えること」はそれぞれ違うように 「ライクワーク」「ライフワーク」「ライスワーク」はそれぞれ違う、という話をします。それは命式のどこに書いてあるのでしょうか?これを自分の職業生活に落とし込んでいくことこそが、講座の醍醐味。 十干の「辛」(私は日干「辛」)に「この分野では誰にも負けない、ということをいかにできるか」「その他大勢になるな」という意味がありますが、 そんなことを改めて強く思う作品展でした。
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苦しみとは自分のことしか考えてないということ。

苦しみとは自分のことしか考えてないということ。

よく悩んでいる人、趣味=悩むこと、という人がいます。いつも悩んでいて、四六時中悩んでいて、片時も休むことなく、24時間悩みの工場を稼働させている人がいるので、私は、そんなに悩むのが得意なら仕事にしたらいい、と言います。趣味が高じて仕事になる。好きを仕事にする。私はそういう人のことを、「不安製造機」と呼んでいます。   私たちは、苦しみがあるから悩むわけですが、では、その苦しみとは何かというと、「自分のことしか考えてない」ということです。たとえそれが家族のことであれ。大切な人のことであれ。 「自分を愛する」とか、ヘンな言葉が流行っちゃったなと思います。自分を愛するとか、自分を大事にするとか、なんかそんな言葉が流行ってしまったから、自分のことしか考えない人、自分を癒さなきゃみたいな人がこんなにも増えてしまったのだと思います。 「家族のために(自分を犠牲にして)生きてきた」という人さえ、それは自分のことしか考えてない、ということです。自分を生きてないことを、家族のせいにしてはいけません。家族を優先して自分を押し殺して生きてきたから自分がわからない、というのも違います。   「自分のことしか考えない人は、苦しみのうちに人生を終えます。他人のことしか面倒を見ない人は考えなくても自分の面倒を見ています」(ダライ・ラマ)
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「勢い」って何だ?

「勢い」って何だ?

起業したキッカケについて時々、インタビューなどで聞かれることがありますが、いつも 「勢いと自惚れで独立した」 と答えてきました。 私が独立した20年前は、まだ起業ブームなどなかったですし、しっかりと「事業計画書」を作って事業を起こしたわけでもありません。本当に未熟だったな、と思うし、20年前の私に「もう少しこうしたらいい」とアドバイスしてあげたいことは山のようにあります。あまりに何も知らなさすぎました。けれども。 そうは見えないかもしれませんが、小学生の頃から「石橋を叩きすぎる」と通知表に書かれていた臆病で慎重な私が、 なぜ、起業などという大胆なことができたのかといえば、「何も知らなかった」からだろうし、「勢い」と「自惚れ」があったからだろうと思います。 では、もう少し辿って、「独立」前の、「転職」したキッカケは何だったのか、と言えば最初の職場が「退屈すぎたから」。 それに尽きます。 何に不満があるのだろう、というぐらい、たくさんのお給料とお休みがありました。 もし、ほんの少しでも、その仕事にやりがいを感じていたのだとしたら、毎日忙しかったら、「転職する」という選択肢は、なかっただろうと思います。 ありあまる時間と体力は、考える余白を与えます。 「このままじゃダメな気がする」 そうして、私はたくさんの時間とお金を「学ぶこと」に費やし、やがて、周囲の反対を押し切って転職します。 実績も経験もないときあるのはガッツと資格ぐらいで、履歴書には書ききれぬほどの資格を並べ、全身からは、ガッツが漏れていたと思います。 私の人生で、最も勢いのあった時期(健全かどうかは別として)と思いますが、その勢いあまって、自惚れもそれに拍車をかけて、 私は独立します。 30歳の誕生日のことでした。   あの日の、真夏の太陽の如く、私も勢いづいていたな、と思います。 勢いと自惚れと無知と錯覚が、私の背中を押してくれました。 では、「勢い」とは何なのか?「自惚れ」とは何なのか?といったら、それは「若さ」の象徴とも言えます。そして、「無知」もまた、若さゆえ、です。自分に対する過信、「自惚れ」が、「錯覚」を起こします。  「勢い」、それを命理学的に言えば、自分に勢いがある=同気と生気の力量が高い、ということです。同気とは自分自身のこと、生気とは自分を応援してくれる力のこと。 今、季節が日に日に「夏の気配」を増しているように、私たちの人生にも「季節」があります。 季節の移り変わり、それは私たちの、人生の「勢い」を表しています。 生まれた時の質を表す「基本命」では私の場合、全く勢いがありません。 が、 20代後半、人生で初の「勢いのある時代」を経て、自惚れと錯覚も交えて、起業することになります。 あれから「あっという間」ではなく20年の月日が流れ、 2020年7月には、誰も訪れることのなくなった我がサロンにこんなにも豪華な、抱えきれぬほどの、大好きすぎるお花が届きました。 祝20周年...
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「東洋占術の魅力は何か?」

「東洋占術の魅力は何か?」

以前受けたインタビューで「東洋占術の魅力は何ですか?」と訊かれました。「すばらしい師との出会い。それに尽きます」と答えた私。ほんとにそれに尽きます。   四柱推命に興味があった、とか占い師になりたい、とか私にはまったくなかったので(今も占い師になりたい願望は全くない)勉強するきっかけも、何か熱い想いがあったわけではありません。たぶん、今も教室で「占い師」でないのは、私だけと思うし、「占い師」になろうとしないで学んでいるのも私だけではないかと思います。それについては、カラーもそうで、「なぜカラーの勉強を始めたのですか?」と訊かれたら「暇だったから」それが理由です。カラーに興味があった、とか小さいころから色が好き、とかではありませんでした。四柱推命についても、カラーについても、だからこそ、「続いている」のだと思います。 今の先生に出会っていなければ、私は四柱推命を学ぼうとも続けようとも思わなかったです。私が、一生かけて学びたいことがそこにある。  きっとこれからも四柱推命(命理学)を超える学びはないのではないかなーと思います。   現在開催中のキャンペーン  一滴の「あなたの香りのおまもりプレゼント!」〜オンラインストアリニューアルキャンペーン! ワンコイン体験レッスン〜リニュアルキャンペーン②  
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